イラストレーター山藤章二さん死去、イラストレーターやか軽やかな風刺で世の中の代弁者にスポーツ報知 政治家や芸能人の風刺似顔絵で知られるイラストレーターの山藤章二(やまふじ・しょうじ)さんが30日午前 、章さ中の者に老衰のため東京都内で死去した。去軽サッカー日本代表 男子 メンバー87歳
。な風葬儀は近親者で行う
。刺で喪主は長男・大地(だいち)さん。代弁 * * * * * 「頑迷固陋(がんめいころう)な老人になりたかった」。イラストレーターやか2019年に著書を発売した際のインタビューで山藤さんが発した言葉だ
。山藤ん死世の正直、章さ中の者に話を聞いていた時には正確な意味が分からず、去軽persija jakarta vs bali united後からそっと調べると「考え方に柔軟さがなく
、な風適切な判断ができないこと」という意味の四字熟語
。刺でところが 、代弁優しい口調で硬軟問わず
、イラストレーターやかさまざまなジャンルについて語る山藤さんは 、その言葉から最も遠い存在だった。 代名詞ともいえる「ブラック・アングル」では 、イラストで皮肉たっぷりに世の中を風刺した。そこには「世の中にもの申す」という気持ちがもちろんあっただろうが、「誰もが持っている『何かを発したい』という気持ちを伝える役目を
、私がやってやろうと思ったんです」と
、多くの人たちの代弁者という意識も持っていたという 。 仙人のような風ぼうで椅子に深く腰掛ける姿は、まさに「重鎮」
。描くイラストには“毒”もあった
。ただ、話を聞いて感じたのは「軽やかさ」。言葉狩りや炎上がひどくなり続けているこの時代だからこそ、その軽やかな風刺を見続けていたかった。 (高柳 哲人) ◆山藤 章二(やまふじ・しょうじ)1937年2月20日、東京都目黒区生まれ。60年に武蔵野美術学校(現在の武蔵野美大)デザイン科を卒業後
、広告会社を経て64年からフリーに。松本清張などの小説の挿絵を担当し、注目される。70年、講談社出版文化賞、71年には文芸春秋漫画賞を受賞
。76年から「週刊朝日」で連載開始した「山藤章二のブラック・アングル」は半世紀近く続いた。04年、紫綬褒章受章 。